2013年3月31日日曜日

東坂戸団地の桜並木 

川面に映る桜に見とれました。綺麗で幽玄でした。眺める見物客も地元の人々だけでした。
                           桜並木の下を一生懸命に自転車に乗っている少女に出会いました。
               桜が眺めているのでなく遅刻してはいけないという顔つきでした。
               桜は毎日みているのか関心なさそう。
 




                   この木は桜でなくアンズの木でした。 
 団地のすぐ前に20本ぐらいのアンズの木でした。
梅の木と間違えてしまった。下はアンズの花です。

平成25年度の桜見物は転居したため、近くの東坂戸団地の桜並木を観てきました。坂戸の桜は一度訪れて楽しむ隠れた名所のなかの一つと言われているそうです。その言葉通り一面は桜・桜で咲き乱れていました。用水路の両側にシメイヨシノが一斉に一面に白い花を咲かせ、川面にその桜が反射してその美しさを一層幽玄優美のものにしていました。今年は1週間早い桜の到来となりました。待ちに待った桜の開花は春の季節の到来ですべての喜びと歓喜の始まりと私は思っています。日本人は桜が好きな民族といわれて来ましたが、それは置かれた国土の地形から来るものであるが、もう一面では宗教的なものから来るものだと思っています。大和の国・日本は豊かな天候に恵まれ太古時代から島国一国単民族でした。ですから縄文土器時代からの農耕住民は春が訪れ桜が咲くころはすべての生産活動の始まりで、そしてそれは正に稲作生産の始まりでした。だからその姿・桜を神・仏を眺めるように見つめることは今年の稲作の始まりの感謝と今年も豊穣な秋の収穫を神に祈る気持ちだと思っています。神の国日本はは桜の綺麗な国でした。国立の桜も見事で綺麗でしたが、今日初めて訪れた埼玉坂戸の桜も一見にしかずでした。周辺は祭りの提灯も何も飾られていません。まさに桜だけでした。自然のままの桜になお一層親しみが湧き上がり、深く私の胸は高鳴るのでした。これだけの桜の見事な一面の開花にも、人通りは少なくマラソンしたり散歩したりする近所の住民が素通りしているだけでした。子供はと言ったら、自転車に乗って走ってくる少女に一度出会うだけでした。人に楽しんで見られることも少なく花びらをすぐ風に任せて散らしていく風情にはとても猶更僕は愛おしく思うのです。年々年月を重ねて来ると、生きることへの思い入れが更に強くなり桜にその感情を移入しぶつけるのです。また来年もお会いすることを約束して帰ってきました。あと何年見られるかとかと思うと、あらためて無限でない事をしり猶更生きとし生けるものへの愛着は強くなってくる。

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